言語にとって美とはなにか(吉本隆明):角川ソフィア文庫

定本 言語にとって美とはなにか〈1〉 (角川ソフィア文庫)
今年の81冊目。こいつも再読。20年ぶり。ふぅ。
こういう本を好んで読むようになってるってことは、心身が疲れている証拠(私にとっては)。明確な打開策はないので、8月中旬までだましだましやっていくしかないよね。

始める場所、帰る場所

ゲームのルール説明についての話題が、ネット上のあちこちで公表されている。ゲームを遊ぶ上でほぼ必須の要素なので、関心が高いのだろう。


ルール説明に慣れ、うまくなるために必要なのは、安心して失敗できる環境だと思っている。もちろん、口で言うのは簡単でも、これがなかなか難しい。


一度遊んで概要をつかんでいるゲームなら、ルールの説明はわりと容易だ。一度遊んでしまえば、ルールが規定しているいろいろな項目のうち、どこを強調し、どこを割愛すればいいかという線引きがしやすいからだ。ゲームの展開もある程度わかっているので、ルール説明の予定(展開)も考えておきやすい。
しかし、自分自身も初めて遊ぶゲームのルールを説明するには、ある種の度胸と場数を踏んだ経験が必要になる。


度胸を養い、場数を踏むために大切なのが、安心して失敗できる環境だ。私の場合、それはゲーム以外の共通項で集まった交友関係が該当する。具体的には、リーグのオーナー会議だ。ここでは、ゲーム「を」遊ぶことが目的ではない。気のあった仲間が集まるときに、ゲーム「で」or「も」遊ぶという場になっている。ゲームを遊ぶことがすべてではない。
オーナー会議の席では、自分自身も初めて遊ぶタイトルを出すことが多い。ルール内容が頭に入っておらず、説明がうまくいかないときもある。必要な説明をすべてできず、「ま、とりあえずやってみてよ」などといいながら遊んでもらうこともある。ゲームが始まってからルールの追加説明をすることもしょっちゅうあるし、一戦終わってから「ごめん、ルール間違えてたみたい。もう一回やってみていい?」なんて聞くことだって多い。こういう失敗を安心して繰り返せるから、初めてのタイトルでも、ルールの説明をしてみようという意欲が維持できている。また、ここで積んだ経験を活かしたルール説明が、いろいろな場所でできるようになる。


ルールの説明に慣れたいという方は、失敗できる環境を作ることを先に考えてみると良いかもしれない。ゲームのルールを読み込んだり、いろいろなゲームを遊んだりして「ゲームに対する習熟度を高める」よりも、得られることは多いように思っている。