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うつくしさんの日記(id:tetsuya_shinohara:20110507:1304771214)に触発されて。


私も、休み方には上手・下手があると思う。そして、うまく休めるかどうかを決める要因には、二つあると考えている。一つは、経験の多寡。もう一つは、人生観(大げさ)。


いちど始めた作業を途中で止める(=休む)のは、とても難しい。作業を止める場合、「ここで」止めていいのか、「残りは」どのくらいあるのか、を判断しなければならないからだ。初めての作業の場合は、特に判断しづらい。作業全体がどこまでいったら完了なのか、見極めができないからだ。
同じ作業を何度か経験していれば、「前回はこうだった」といった体験の蓄積があるので、判断の基準が自分の中にできる。そうなってくれば、どこで休むべきなのかがわかると思う。
今回の震災支援ボランティアの方々にとって、多くの活動は初めての体験だっただろう。だから、うまく休めなかっんだろうな、と推察する。判断を行うべきボランティアコーディネーターの数も少なかったのだろうし、その方たちにとっても初めてのことが多かったはずだから、現場は大変だったに違いない。
私が活動したところでは、すでに現地の工務店の人が復興作業にあたっていた。さすが、プロは違う。やっていることは私たちと同じでも、「休む頃合い」の取り方がバツグンにうまかった。8時から作業を開始して10時に休憩。10時15分から12時まで作業して、昼食。13時から15時までやって休憩して、17時にはその日の作業は終了だった。それぞれの休憩時間まで行う作業と人の割り当ての配分も絶妙で、私のような素人が加わってもその時間内に決まった作業が終わるようになっていた。経験の差、だなぁ、と感心した。


もう一つの人生観。
多くの人は、「いま、その瞬間に全力で取り組む」ことに大きな価値を置いている。間違っていないし、それはそれでアリだろう。でも、私はどうもあまり好きな価値観ではない。全力を出し切った後のことを、どうしても考えてしまうからだ。全力を出し切ったあと、倒れたり、いなくなったり、死んじゃったりしたら、周りにとっては迷惑じゃないのかな、と考える。いまだけでなく、その先もずっと続けていける継続性に、重きをおいてしまうんだよね。
震災支援の活動した人たちは、みんな素晴らしい志を持っているように思う。でも、あえて言ってしまえば、その多くは「戻るところがある」人たちだ。いま、その瞬間に全力を出すことに集中できる、恵まれた環境にあると言える。だから、「いま、できること」に一生懸命になるばかり、その途中で作業を止める(=休む)ことに罪悪感を感じてしまったのかもしれない。
現地に住んでいる、そしてこれからも関わっていくであろう人の動きは、やっぱり私たちと違っていた。今日の作業を終えても、明日も、明後日も、この先しばらくは作業が続く。途中で抜けたりすることはできない。だから、作業中の動きも、途中での休憩も、それを見越したものになっていたように感じた。自分の持っている力の7割でも、6割でもいい。その力をずっと出し続けていけるような動き方を無意識にしているように感じた。


……というわけで、経験もなく、全力を出し続けてしまった私は、いま筋肉痛で悩んでいる。もっと休めばよかったかも。

放置しておいたシールは後が大変

『Rommel in the Desert(Col)』が、ようやく遊べそうな感じ。放置しておいたブロックへのシール貼りを始めた。ところが、2年近くも放置しておいたせいか、台紙からうまくはがれないシールがたくさん(涙)。木工用ボンドを出して対処したけれど、これで大丈夫なのかなぁ。