日本軍の敗戦記録も書いておくべし

『Asia Engulfed』の対戦、3回目にして初めて日本軍を担当した。いやぁ、なかなかつらい体験だった(苦笑)。
歴史の後知恵があるから、日本軍は「どこかで攻勢を終えて防御に移らなくてはいけない」という意識がある。その考えが頭の中を支配してしまったため、攻勢のカタルシスがないのが辛さの原因なのかもしれない。勝利のための条件として「上海、北京、沖縄の3VPを死守する」ことを狙ったため、攻勢が中途半端に終わってしまった。トホホ。


1941年12月は、ミンダナオ、ウェーク、ラエに加えてグアムへの攻勢をしかけた。戦後の感想戦では、「グアムは放置しても良かったのかも」という話が出た。その分の兵力でタラワを狙う作戦もあったかもしれない(あるいはボルネオか)。後半に向けた予備兵力の抽出と言うことを考えると、南方で攻勢に出て“米英遮断(米豪遮断ではなく)”を狙うべきかも。DEIとフィリピンを早めに陥落させて兵力を奪っておき、ギリギリまでセレベスを保持する方向に出るという手が有効のように感じられた。


いずれにしても、再戦を希望。いまなら、ルールの大部分を覚えているし(すぐ忘れるだろ、という突っ込みは無視)。