カルドロンのレビュー

■基本データ■

・ゲームタイトル:カルドロン(cudlron)
・作者:チーム カルド論(https://sites.google.com/site/culdron/home
・プレイヤー人数:2〜4人
・実プレイ時間:約60分(3人での平均)
・プレイ回数:5回

■ゲームシステム■

『カルドロン』は、名作ソフト『カルドセプト』(大宮ソフト)のコンセプトを活かして作られたゲームだ。プレイヤーは世界(の一部)での覇権を競う“セプター”になり、ボード上で激しく競い合う。
プレイヤーの手助けになってくれるのが、多彩なカードだ。地図上の土地を確保したり奪うのに必要な「クリーチャー」、さまざまな効果を持つ「スペル」、クリーチャーの助けになる「アイテム」……これらをうまく使って、対戦相手との競争に打ち勝つことが求められる。
ゲームシステムの多くは『カルドセプト』と共通している。大きな違いと言えるのは、次の3点だ。
1)デッキ構築の要素がある:カードは最初からフル枚数のデッキになっているわけではない。最初のデッキには、17枚のカードがあるだけだ。ゲームを進めながら『ドミニオン』のようにデッキを調整していく必要がある。その代わり、新たに入手するカードはプレイヤーの任意で選べ、『カルドセプト』のようなランダム性はない。
2)勝利条件は「レベル7」:一定のマナを溜めて城に帰還する……ではなく、「レベル7以上の土地を持った状態で城に帰還する」ことが勝利条件になった。手作業だと面倒なマナ計算は、省かれている。なお、土地のレベルは「その土地に置いたクリーチャー数」で決まる。いわゆる投資を行う必要はない。
3)マナは共通:プレイヤー間でマナを奪い合うことはなくなった。他プレイヤーの土地にコマが止まってしまっても、手元から奪われることはなく、共通の場から相手に渡される。

■面白い! でも……■

私も含め、『カルドセプト』を遊んだことがある3人で、5回ほど遊んでみた。全員に共通する感想は「面白い! でも……」というものだった。「でも」の後には「戦闘の楽しさがない」、「最終盤がもつれて長い」といった言葉が続く。
まず「戦闘の楽しさがない」という点から。『カルドロン』では、クリーチャー同士の戦闘は非常に簡単な仕組みになっている。攻撃側/防御側双方の能力値に、アイテムの数値を足して判定するだけだ。さらに使うアイテムの選択は常に攻撃側が先で、しかも公開情報として与えられる。そのため、相手がどんなアイテムを出してくるかわからない、という戦闘における読み合いの要素がなくなっている。これが不満につながっているわけだ。“最初に、すべてのカードを公開する”のではなく、“好きな枚数だけカードを公開する”ということだったら、だいぶプレイ感が違っていただろうと思う。
続いて「最終盤がもつれて長い」という点について。『カルドロン』の勝利条件は、「レベル7の土地を持った状態で城に帰還する」ことだ。ゲームが終わりに近づくと、レベル7の土地を持つプレイヤーが現れる。その時、他のプレイヤーが対抗手段として用いるのが「その土地を奪い取る」ことだ。そしてそれは、意外にあっさり達成できる。このゲームでは土地のレベル上昇に伴う戦闘時のボーナスが存在しないからだ。苦労して育てた土地が、一回の戦闘で崩れてしまうわけだ。そのため、終盤になると土地の奪い合いが頻発し、「誰か終わらせてくれー!」という悲鳴があちこちで発するようになる。


■予備知識があると難しい■

『カルドロン』は、面白いゲームに仕上がっている。『カルドセプト』の持っていた要素をうまく絞り込み、新しい解釈(デッキ構築)を組み込んだことで、テンポよく遊べるゲームになった。この種のゲームに初めて触れるプレイヤーには、かなりうけそうだ。
ただ……『カルドセプト』というソフトを実際に遊んだことのある人にも受け入れてもらうには、少し要素を絞りすぎたように思える。特に戦闘周りの処理が、寂しくなっている印象を受けた。
自省も含めて言えば、いわゆる“原作”のあるゲームに対して、人はかなり厳しい見方をしてしまう傾向があると思う。予備知識がある分、「あっちではこうだった」という見方/物言いが増えるからだ。『カルドロン』に対しても同種のこと(予備知識があるが故の不満が発生する)が出てくるような気がする。何かを生み出す、創り出す、ということは、かくも難しいのだなぁ、と、あらためて思う。