Wizardryの話・その2

(承前)

学生時代も終盤を迎えていた1988年12月、アスキーローカライズした『Return of Werdna(以下、#4)』がリリースされた。難易度の高さはシリーズ最高と言われていた問題作だ。本場アメリカでもクリアした(Ground Master Adventurerの称号を得た)方が少なかったこともあり、当時発行されていた『Login』には、やけに挑戦的な広告が掲載された。いわく、「果たして何人解けるだろうか?」「クリアした人はアスキーに知らせよ」「各機種ごと、先着10名にはSir-Tech製のジャンパーをプレゼントする」などだ。こう言われてしまったら、遊ばないわけにはいかない(……今から考えると、若気の至りだよなぁ)。遊ぶための条件を整えるべくパソコンも新調し、さっそく購入して遊び始めた。


……なんだ、この難しさは。というのが、B10Fから始めてB7Fまで上がった時の感想だ。それまで、Wizardryの難易度は、マップ構造とイベント構成によって決まっていた。パーティの行く手をふさぐモンスターも脅威ではあったが、それはしょせん“レベルを上げれば突破可能”な障害物に過ぎなかった。
#4では、地味なレベルアップ作業による力押しのクリアを拒絶する仕組みが導入されていた。そのため、戦闘を行うことはプレイヤーにとって益ではなく、場合によってはかえって害になってしまっていたのである。このパラダイムシフトに対応することが、まず第一の課題になった。


次につまづいたのがマッピング作業だ。それまでの経験で、自分のマッピング能力にはある程度自信を持っていたつもりだった。しかし、#4はダメ。随所に設けられたシークレットドアや、複雑なつながりを見せるワープポイントに悩む時間が続いた。すべて自力でマッピングする、という当初の意欲は薄れてしまった。当時の『Login』に掲載されていたB10F〜B8Fまでのマップを参照しつつ進める始末。公開されていないB7F以降のことを考えると、頭が痛くなった。


さらに、である。イベントの解決に必要な知識が絶対的に不足していたことが、最大の難関となって立ちはだかった。一応、ゲーム中に登場するMronが神託という形でヒントは与えてくれるが、その意味がまったくわからない。「思わぬ抜け道ってもんは、案外近くにあるもんさ(正確なセリフはうろ覚え)」という何気ない一言で、隠されたB11Fへの通路を見つけるなど、始めたばかりの私には思いもつかなかった。


そんな八方ふさがりの状況だったが、なぜか#4を投げ出す気にはなれなかった。絡み合った情報をほぐしていって一つずつ解明していくことや、とても20×20とは思えないマップ構造に秘められた謎の解明や、一歩進むことにも躊躇してしまう手強い敵との戦闘などなど、いずれの要素も「面白く」感じてしまったためだ。


公立の図書館に行って「カバラの秘術」についての文献を読んだり、Blade Cuisinart'の“Cuisinart”の意味をフランス語の辞書で調べたり、後からワープしていることに気づいてマップを描き直したり……といったことに熱中する日々が続いた。こうした苦労は報われることもあれば、報われないこともあった。B4Fとコズミックキューブのマッピングが完成したときに浮かんできた「Dink」の文字に感動し、魔女が求めるDab of Puseの材料があと一つ見つからずに呻吟したり、HHG of Aunty Ockを使って地上に出たときの開放感を味わったり、頬という単語に気づかず「Face」と入れて拒絶されたり……。


1998年12月のリリース時から取り組み始め、ほぼ連日12時間以上パソコンの前に座り、ようやく最後のエンディングに到達したのが3ヶ月後。画面上に表示されるコードをメモに写すその手は震えていた。やっと終わったという解放感と、これで終わりだという寂寥感を、同時に味わったのは、ちょうど今頃のことだ。


私にとって、『Return of Werdna』はいろいろな想いが詰まった忘れられないタイトルだ。面白いゲーム、興味を惹かれるゲームは数多くあるけれど、これ以上に熱中したものはない。今でもときどきPS版の「クラシックモード」で、当時を懐かしむことがある。

……続きは、また明日にでも。