「罪ゲー」の条件

Twitterでのやりとりで、思ったことをつらつらと。

1)罪ゲーの定義

二つある、と思っている。

  • 面白くて、夢中になって、時間を忘れてのめり込んでしまい、仕事や生活に支障が出るゲーム
  • 遊んだことで人間関係に問題が生じてしまうようなゲーム

前者を“良い”罪ゲー、後者を“悪い”罪ゲー、と考えている。
一つのゲームが両方の条件に当てはまることも、もちろん、ある。

2)罪ゲーの条件

私にとって、あるゲームが“良い”罪ゲーになるかどうかの条件は、こんな感じ。

  1. 勝利にいたる道筋が、複数用意されていること
  2. ルールの記述が明確で、その適用/運用に慣れるまでの時間が短くて済むこと
  3. ルール適用/運用の巧拙ではなく、戦略/作戦/戦術の良し悪しで勝敗が決まること
  4. 一定の期間(たとえば、一日)のうちに、複数回続けて遊べること
  5. そのゲームを“純粋に”面白がってくれる対戦相手がいること

私が、特に重視しているのは、5番目の条件だ。ゲームを“純粋に”楽しむことって、意外に難しい。
「勝って、対戦相手にいい顔をしたい」「相手を見下したい」「教育してやる!」、etc...そんな風に思う人はいる。私だって、そう思うこともある。こういう、いわば“邪念”みたいなものが色濃く出ている人と遊んでも、ちっとも面白くない。そういう対戦相手と遊ぶゲームは、すべからく“悪い”罪ゲーと化す。

3)最近の罪ゲー

いろいろある。

  1. Labyrinth(GMT):システムにしびれた。終盤まで逆転可能なところがいい。
  2. A Few Acres of Snow(Treefrog):展開の多様性に惹かれた。でも、フランスで勝てる気がしなくなってしまったので、そろそろ罪ゲーじゃなくなるかも。
  3. Sekigahara(GMT):運・不運をテクニックでカバーしていく、というところが好きだ。勝てないが。
  4. 18xx(多様):“良い”“悪い”の落差が激しい。対戦相手選びには、かなりの慎重さが必要だ。