「罪ゲー」の条件
Twitterでのやりとりで、思ったことをつらつらと。
1)罪ゲーの定義
二つある、と思っている。
- 面白くて、夢中になって、時間を忘れてのめり込んでしまい、仕事や生活に支障が出るゲーム
- 遊んだことで人間関係に問題が生じてしまうようなゲーム
前者を“良い”罪ゲー、後者を“悪い”罪ゲー、と考えている。
一つのゲームが両方の条件に当てはまることも、もちろん、ある。
2)罪ゲーの条件
私にとって、あるゲームが“良い”罪ゲーになるかどうかの条件は、こんな感じ。
- 勝利にいたる道筋が、複数用意されていること
- ルールの記述が明確で、その適用/運用に慣れるまでの時間が短くて済むこと
- ルール適用/運用の巧拙ではなく、戦略/作戦/戦術の良し悪しで勝敗が決まること
- 一定の期間(たとえば、一日)のうちに、複数回続けて遊べること
- そのゲームを“純粋に”面白がってくれる対戦相手がいること
私が、特に重視しているのは、5番目の条件だ。ゲームを“純粋に”楽しむことって、意外に難しい。
「勝って、対戦相手にいい顔をしたい」「相手を見下したい」「教育してやる!」、etc...そんな風に思う人はいる。私だって、そう思うこともある。こういう、いわば“邪念”みたいなものが色濃く出ている人と遊んでも、ちっとも面白くない。そういう対戦相手と遊ぶゲームは、すべからく“悪い”罪ゲーと化す。