ルールの全訳は、もう作れないなぁ

面白そう、遊びたい、と思うゲームの多くは外国製なので、ルールをどうやって理解するかという課題が生じる。
ショップや有志の方が作成した日本語ルールが添付/公開されている場合は、それに頼る。一緒に遊んで下さる方が和訳をして下さることも、最近は非常に多い。ありがたいことだ。
こうした訳がないときはどうするか? ゲームを始めた頃は、自分で全訳を作っていた。数年前まで、サマリーのような形で訳をすることも多かった。いまは……ちょっとそこまで元気がないなぁ、というのが本音。英文のルールだったらざっと読んで、ちょっとメモして、それでおしまい。歯ごたえのあるルールだと、途中で挫折してしまい、遊ぶところまで行かずに死蔵、ということもある。ゲームに対する熱意がなくなったわけではないと思うんだけど、そこまでパワーがないなぁ。衰えてきてるんだろうか。


ということを、久しぶりに『Frontline D-Day』の抄訳を作りながら考えた。

気持ちの悪い表現

ゲームのルールを読むと、受動態/受け身の表現が多いことに気づく。たとえば、

  • ゲームで使う地図盤には○○地方の地形が「描かれています」
  • 損害を受けたユニットは、地図盤から「除去されます」

といったもの。確かに、英語ルールの多くでは受動態/受け身で記載してある。ただ、これを直訳して日本語化してあるルールは、何となく気持ち悪く感じてしまう。
国内のメーカーや出版社が作ったゲームでも、こういう表現に出会うことが多い。受動態/受け身って、多用することがフツーなんだろうか。


私自身の感覚では、なんだか変な感じがするんだよね。ゲームのルールって、作り手側が書くもので、受動態/受け身で表現されると「他人事」の感覚で話されているような感じがするのだ。前述した例を

  • ゲームで使う地図盤には○○地方の地形を「描いています」
  • 損害を受けたユニットは、地図盤から「除去します(or 除去して下さい)」

では、ダメなのかしらん? そっちの方が、すっきりと納得できるんだよなぁ。


あ、ついでにもう一つ。ゲームのルールって「○○することができる」っていう表現が多い気がする。「△△すると、金貨を手に入れることができます」とか、「相手ターンの終了時まで保持すると、ヘクスの支配権を確定することができます」とか。これもなんだかスッキリしない感じ。「○○できる」じゃ、ダメなのかなぁ。


こういう感覚を持つ私自身が、ヘンなのかも。